★★maming4816の京都の行事★★京料理、京菓子ブログ

京都の魅力を伝えます(京の行事と食文化)

❤ Mamingの京都エッセイ❤ vol.1

コロナ感染の影響で、外出自粛宣言が出されしばらくの自宅待機。「自分が今、自宅でできることは何か?そう!料理をきちんとやってみよう!」でした。" きちんと ご飯 週間 " (しっかりご飯をたべよう)と銘打って、「谷口真由美のフェイスブックで情報をあげています。フェイスブック

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で伝えられなかった情報をこの ” maming1965ブログ ” で詳しく公開。料理を通して見えてくる “ 京都の歴史や文化、伝統 “ もご案内できればと思います。最後に ” mamingのつぶやき ” も読んでくださいね!

【 目次 】目次の各項目の上をクリックすると、その文章へ移動します。

★おうちで暮らそう 4月22日 “ きちんとご飯 週間 ” 第1弾!★

みなさんこんにちは、しっかり下記の4品を頑張ってつくりました。彩りも考えてみましたので、ゆっくりご覧ください。

一品目《 春キャベツのコールスロー 》 旬の食材をいただく!

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春の季節、スーパーで買い物をしていると、よく目にするのがPOPで必ず頭文字につく ” 春○○○ ” の「春」。買い物をしていて季節を感じる一コマです。今回もスーパーで「春キャベツ」のPOPを見たので、「旬をいただきます!」とつぶやいて柔らかいキャベツを、買い物カゴへ入れました ♪

【 クッキング 】キャベツの千切り→塩で軽く揉む→水気を切る→ツナを入れる→マヨネーズで和える ※好みでレモン汁や粒マスタードを入れる ※春キャベツは葉が柔らかいので塩の入りが早いです、注意。

●ひとこと…キャベツの千切りは大きめでも大丈夫。春のキャベツはこんなにも柔らかいのかと、いつも買っているキャベツとは違う感触を楽しんでください。柔らかさが春なんですね。

二品目《 干瓢(かんぴょう)と人参の白みそ辛子和え 》精進料理の一品!

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精進料理らしいおかずを一品作りたい!そこで思い出したのが、うん十年前に仕事でうかがった臨済宗妙心寺塔頭・東林院の料理。東林院へ ” 精進料理 ” のお話を伺うために、住職の西川玄房さんを訪ね、自ら精進料理を教えておられる教室へ、生徒さんと一緒に学ばせていただきました。その時のことを思い出して作ったのが、今回ご紹介する ” 干瓢 と人参の白味噌辛子和え ” です。干瓢といえば、お醤油と砂糖で甘辛く煮たてて、巻き寿司などの具材として使われている印象が強いですね。今回は脇役ではなく主役の食材として調理しています。

【クッキング】乾物の干瓢を水で戻す→干瓢を熱湯でゆがく→干瓢を絞り水気を切る→絞った干瓢を3センチほどに切る→和え衣(白味噌、昆布出汁、砂糖、みりん)をつくる→和え衣を弱火にかける(グツグツなったら火からおろす)→粗熱をとった和え衣に酢とからしを加える→完成した和え衣と干瓢を和える→ゆでた人参を添える。

●ひとこと…和え衣が京都らしさを添える “ 白味噌 ” なので、これをマスターして来客に出して差し上げると、やるね!と思われること間違いなし!「これ、干瓢なんですよ」と、ふだん使わない食材の話をするときっと会話が弾みますよ。

 

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東林院 西川玄房 著書 「禅寺のおばんざい」
★【 書籍の紹介 】★

東林院住職・西川玄房 著書「禅寺のおばんざい」。京都の四季折々の精進料理が100食納められている料理本。春夏秋冬ごとの献立と、食材の恵みと、精進料理の教えが書かれています。料理の写真が一品一品丁寧に撮影されていて、美しい料理の写真を見ているだけでも、温もりを感じて心が和む内容となっています。

★【 京都ならぬ滋賀コラム 】 “干瓢” ★

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ユウガオの実をひも状に切って乾燥させた「かんぴょう」

干瓢の歴史を調べると、となりの県「 滋賀県 」と深くかかわっているようです。京都のコラムならぬ “ 滋賀のコラム ” でご案内します。

干瓢について

原材料=ウリ科・ユウガオの果実(丸い大きな瓜と似ている)。ユウガオの果肉をリンゴの皮をむくように細長く削り取って乾燥させたもの。乾物の保存食。

主な生産地=現在は約90%が栃木県で生産されている。

生産発祥=摂津の国・河内の木津

歴史

中国の精進料理の食材として使われていたユウガオの実を、中国へ渡った留学僧が日本へ持ち帰り、16世紀ごろには摂津国(現在の大阪・木津)で栽培されたという記録があります。その後、“ ユウガオの実 ” が日本の精進料理でも使われたことから、社寺の多い京都・奈良の需要が増えて、近隣の滋賀県水口でユウガオの実を栽培。実を加工した “ 干瓢 ” が滋賀県でも盛んにつくられました。しかし、時を経て主な生産地は、栃木県壬生町へと移り変わり、今では栃木県が「干瓢」生産量日本一を誇っています。

栃木県で干瓢が作られるようになったのは、今から約300年前の江戸幕府七代将軍・徳川家継の時代で、正徳2年(1712)に近江国の水口藩から下野国(今の栃木県)壬生藩に国替えをした藩主・鳥居忠英(とりいただてる)が、赴任した先の下野国壬生藩には特産物が無いことを憂いて、もといた近江国の水口藩から干瓢になるユウガオの苗を取り寄せたのがはじまりとされています。ユウガオの実「干瓢」は、中国から摂津国(大阪)、近江国滋賀県)を経て下野国(栃木県)へと移ったのです。

ちなみに、関西では今でも滋賀県水口の「水口かんぴょう」として生産されています。かつては滋賀県水口藩が生産量を誇った証として、歌川広重の浮世絵である “ 東海道五十三次 “ の「水口の宿」(天保4年・1834年以降)で、乳飲み子を負ぶった女性が干瓢を干す風景が描かれています。今や常に食べない食材の干瓢ですが、時の世相をしめす浮世絵に描かれているということは、当時の主力食材だったのですね。

★【京都コラム 】“妙心寺と東林院 ” ★

妙心寺は、京都の洛北・衣笠山の南に位置する臨済宗妙心寺派大本山建武4年(1337)に花園法皇の願いで、法皇の別荘である花園離宮を禅寺としたのが始まり。大徳寺の僧・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう/大燈国師)の推薦により、関山慧玄(かんざんえげん)が開山となって寺が建立されました。

臨済宗の名だたる寺院の中でとくに経済基盤が確立された寺院として知られ、中興の祖(寺の再興に尽力した僧)と言われる妙心寺・第6祖の雪江宗深(せっこうそうしん)が、僧の在り方、寺の組織化、経営などを細かく見直して盤石な基盤をつくるために質素倹約を実行。禅寺の中でも「妙心寺の算盤面(そろばんづら)」と呼ばれることもあるそうです。

東林院は、臨済宗妙心寺塔頭寺院。享禄4年(1531)に室町時代の武将・細川氏綱(うじつな)が、父の高国(たかくに)の霊を弔う菩提寺として建立されました。

境内には10数本の “ 沙羅双樹 ” の木があり、6月には花をたくさん咲かせるため「沙羅双樹(釈迦が亡くなった場所にあった樹木をしめす)の寺」としても知られています。また、精進料理も有名で料理にちなんだ行事も開催されています。

「精進料理を体験する会」 毎週の火曜、金曜日

「小豆粥で初春を祝う会」1月12日~1月31日

「沙羅の花を愛でる会」6月15日~6月30日

※日程は変更されます。コロナ感染の影響で開催されない場合があります。

三品目《 甘辛こんにゃく 》体をきれいにするこんにゃく料理!

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さいころ、祖母から「こんにゃくは体の砂をおろしますのえ」と聞かされ、砂なんて食べていないのに何を言っているのかわからないと思いつつ、後に体の中をきれいに掃除する食材だということを知りました。原料は “ こんにゃく芋 ” で繊維がたっぷりあって腸内を整えてくれるのだとか。さて、調理ではなかなか味が浸み込まない食材であるため、フライパンで焼き目をつけてお醤油ベースで味付け。香ばしい胡麻を入れていただきます。

【クッキング】

こんにゃくを8㎜くらいの厚さに切る→5~6分湯がく→湯切りしてフライパンで炒める→醤油、水、砂糖、みりんを入れてからませる→汁気がなくなるまで中火で煮る。

●ひとこと…ささっとできる簡単料理なので、急ぐときは “とりあえずの一品 “ としてだします(笑)。細長く切った(長方形)こんにゃくの真ん中に包丁で切れ目をいれて、こんにゃくの片方の端を切れ目にくぐらすと、写真のような、ねじれたこんにゃくになります。このひと手間が料理をより一層グレードアップさせてくれますよ!!

★【京都コラム】“ 金剛寺のこんにゃく ” ★

 “ 甘辛く炊いたこんにゃく “ というということで、八坂神社の南、八坂の搭(法観寺)の近くにある金剛寺の 本尊・青面金剛(しょうめんこんごう)と、“ こんにゃく封じ祈祷 ” をご紹介します。金剛寺と言わずに「八坂庚申(こうしん)堂」や「庚申さん」、「カラフルなくくり猿の寺」と言えばわかるでしょうか。

 

歴史は飛鳥時代、渡来豪族の秦河勝秦氏の守り本尊として青面金剛を祀り、後に平安時代(960年頃)の僧・浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)は、人々がいつでも本尊へお参りできるようにと御堂を建立したことに始まります。

青面金剛とは

干支の暦で60日に一回おとずれる「庚申の日」(庚・かのえ/申・さる)には、人間は自分の体内にある三尺の虫(さんしのむし)が、夜中寝ている間に体から脱け出して寿命を司る神の “ 天帝 “ に、その人間の悪行を告げに行く日とされています。

悪行を告げられた人間は罰として寿命を縮められる。これを回避するには、庚申の日の夜は寝ない。そうすれば三尺の虫は出てこれないので寿命は縮まらない。庚申の日は寝ないで徹夜をする庚申信仰の「庚申待ち」という慣わしが行われました。

しかし、金剛寺の本尊・青面金剛がその三尺の虫を食べる仏様とわかり、いつの頃からか、庚申の日にはこの金剛寺の本尊・青面金剛を拝んで寿命を縮めないようにお願いをしたということです。

こんにゃく封じ祈祷

その60日に一回おとずれる「庚申の日」には庚申護摩供とこんにゃく封じ祈祷が行われて、この日に甘辛く炊いたこんにゃくが参拝者に接待されます。“ こんにゃく ” は浄蔵貴所が父の病をこんにゃくで治したことにちなんで、病名を書いた紙人形をこんにゃくに貼って天井に吊るす。すると、こんにゃくに含まれている水分が、天井からぽたぽたぽたと落ちるさまが、“ 水が抜けるように病も抜ける ” となって、今日もこの祈祷が行われています。

くくり猿のご利益

門をくぐり、境内に入るやいなや目に入ってくるのが赤、青、黄色のカラフルな縁起物の猿です。両手両足をくくられて連なって吊るされている姿は、心をうまくコントロールされている状態を表わしているとか。参拝者は好きな色の手足をくくられた猿を授かって、ご本尊の青面金剛へ「欲を意欲にかえて、うまく心をコントロールできるように」とお願いするのだそうです。

四品目《 ほうれん草の胡麻和え 》胡麻和えの定番ビタミンAが豊富なほうれん草!

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ほうれん草の胡麻和えは、母から最初に教えてもらった料理。すり鉢に、炒った胡麻をざらざらざら~っと目分量で入れて、すりこぎ棒をごりごりとすり鉢に当てて胡麻を砕きます。ほどよく胡麻が砕けてほんのりと香ばしいにおいが漂えば、醤油と砂糖を入れて味を調えます。甘い胡麻和えが嫌いな人は砂糖を控え目、ちょっと酸っぱさを入れたいときは酢を入れる。この調整をすり鉢の中で手際よく済ませている母の姿がかっこよかったです。この胡麻メインの調味料がしっかり出来上がれば、このすり鉢に湯がいたほうれん草をいれて絡めるだけ!なんとシンプルな料理でしょうか!調理はこのすり鉢の中で完結してしまいます!

【クッキング】すり鉢で炒り胡麻をする→砂糖、醤油と塩少々を入れる→茹でたほうれん草を絞って水気を切る→水気を切ったほうれん草をすり鉢の中で調味料と和える。

●ひとこと…調味料がしっかりできれば、ほうれん草の代わりに、きゅうりや、もやし、人参、大根などでも和えることができます。

★【 京都コラム 】 “ すり鉢 ” ★

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すり鉢の料理をして、ふと、すり鉢のことを調べてみたくなりました。すり鉢は精進料理が紹介されるときにお寺の厨房(典座)などで調理道具としてよく見かけます。京都となにか関係はあるのかなと思い調べてみると…。臼(うす)の一種で雑穀の脱穀や製粉、餅つきなどに用いる道具とありました。素材は陶器製で日本の岡山県備前焼にはじまり、器の内側には “ 櫛目 ” という放射状の溝を作ってあるのが特徴で、備前焼信楽焼瀬戸焼丹波焼常滑焼、越前焼のすり鉢があるそうです。

歴史

平安時代末期の絵巻物で病気を記した「病草子(やまいぞうし)」(国宝)に、すり鉢を使う女性の姿があり、実際にすり鉢が出土したのは鎌倉中期からだそうです。

ちょっと余談になりますが、すり鉢の「する」が、あまりよくない言葉の「お金をする(お金を取る)」につながるために “ 忌み言葉 ” として嫌い、「する」を「当たり」に変換して「当たり鉢」と呼ぶことがもあります。また、人にへつらう意味の「ゴマをする」の言葉はよく使いますね。これは、すり鉢で炒り胡麻をすると胡麻の油が出て鉢やすりこぎ棒にこびりつく様が、人間のすり寄っていく姿に似ていることから出た言葉です。意外な事に幕末の流行語で、同じ意味で「ミソをする」とも…。

話しは歴史にもどり、すり鉢は味噌をすることもあって、味噌の製造が機械化するまでは、原料の大豆をつぶす役割もありました。大豆のほかに、豆腐や魚のすり身、とろろ汁の山芋をするなど調理には欠かせない道具でしたが、機械化が進んですり鉢の重要性はなくなり現代では、すり鉢を持つ家庭も減りつつあるようです。

❤ Mamingのつぶやき ❤

おうちでじっくり料理を作っていますと、食材や道具がやけに気になりました。1200年の歴史を持つ京都が、御所が長くあったのだからすべての物は京都につながっているはずと信じてやまない私は、「京都エッセイ」や「京都コラム」として、このブログに書きつづっていきたいです(できる範囲で)。