みごとな退蔵院の桜に誘われて国宝・瓢鮎図の心を考えてみる
今年の桜は、妙心寺塔頭の退蔵院で、みごとに咲く桜を満喫しました。
枝垂れ桜が満開をみせるなか、気になるのはやはり、退蔵院の国宝・瓢鮎図(ひょうねんず)。本物は京都国立博物館に所蔵されていますが、寺院にはレプリカが置かれて、そばで見ることができます。
瓢鮎図は今から約600年前の室町時代に、山水画の始祖・如拙(じょせつ)が4代将軍・足利義持の命で描いたものです。絵画の背景は深い霧のなか、高くにそびえる山がある以外は何もなく、絵画下方に、竹が生え、瓢箪を持った貪らしい男と川のナマズが描かれている構図です。
一見、襖に描かれている山水画の風景のようにも見え、国宝の理由がわからないのですが、じつは、この絵画を国宝に格上げさせる所以となる文字が、絵の上部にぎっしりと書かれてあるのです。それは、当時の京都五山・禅僧31人の名前と落款、そして、この絵に対する絵解きの解釈を各々にのべた漢詩です。
絵を描かせた足利義持が、位の高い禅僧31人に、「瓢箪でナマズをおさえ捕ることができるか」という質問を投げかけて、その問いに禅僧が答えている禅問答の絵画なんです。31人もの高僧が絵に対して真剣に答えているところが国宝なんだと気づくと、各々がどのような答えを出しているのか、大変興味が湧いてきます。
さて、ナマズは “ ヌルヌル ” しているし、瓢箪や近くの竹は “ ツルツル ” して、おまけに 水辺 で水が “ サラサラ ” と流れるし、皮肉にも絵画は 滑りやすいものばかりでナマズは押さえられそうになく、そんな状況のなか、禅僧31人がそれぞれの発想で禅問答を記しています。
例を挙げると下記のような答えがあります。
・瓢箪でナマズを押さえたら吸い物をつくろう、しかし、ご飯がなければ仕方がない、沙(すな)でご飯をつくろうか。
・瓢箪がナマズを押さえようとしているが、実は、ナマズが瓢箪を押さえようとしているのだ。結局は同じ世界にいるのではないか!
上記以外にもっと滑稽な、または、ちんぷんかんぷんな回答も見受けられ、たぶん、足利義持を囲み、奇想天外な答えには笑みがあがったのではないかと想像できます。結局、足利義持も正解を持っておらず、一つの物事にはいくつもの考えがあるということを示している絵画です。
最後に、国宝・瓢鮎図の「 鮎 」は、中国ではナマズを意味する漢字だそうで、ナマズはその土地に住みつき土地を占拠する魚であるから、魚に「 占 」をつけて、ナマズとするのだそうです。
日本ではナマズを「 鯰 」と書きます。魚に「 念 」で、念には “ 粘る ” という意味があって、ヌメヌメ魚のナマズの漢字としたのでしょう。中国のナマズの漢字「 鮎 」にしたかったけれど、先にアユとして「 鮎 」の漢字が使われていたので、「 鯰 」となったという説もあります。
みごとな桜に圧巻でしたが、禅寺・妙心寺塔頭の退蔵院ということで、瓢鮎図について考えてみたお花見でした。
4月8日 花まつり の 花御堂(はなみどう)
先日の4月8日は、一般では「花まつり」で知られ、お釈迦さまの誕生日を祝う日として、各お寺や施設では「降誕会(ごうたんえ)」や「灌仏会(かんぶつえ)」と呼ばれる行事や法要が行われました。
今年は、京都松尾の来迎寺様のご縁で、「花まつり」でよく見かけられる「花御堂」を間近にふれる機会をえましたので、「花御堂」をとおしてお釈迦さまの誕生日について、あれこれとお話したいと思います。
花まつりの日になると、お寺のご本尊や本堂の前には、゛右手の人差し指を「天」に向け、左手の人差し指を「地」に向けて立つ小さなお釈迦さま ゛が、甘茶でみたされた灌仏桶(かんぶつおけ)のなかに据えられ、さまざまなお花でお釈迦さまの周りをお飾りする『花御堂(はなみどう)』が置かれます。
その花御堂が寺院本堂前に置かれた場合は、誰もが参加(参拝)してよいしるしで、灌仏桶の甘茶をひしゃくですくい、お像のお釈迦さまにかけてお誕生日をお祝いできるようになっています。
京都には仏教寺院が母体となって営まれている保育園や幼稚園、学校がたくさんあるので、『 お釈迦さまのお誕生日を祝う行事 』として、花まつりは小さい頃から慣れ親しまれている行事の一つでもあります。
親族やおばあちゃん、おじいちゃんと一緒に子どもさんがひしゃくで甘茶をかける風景もよく見られて、小さい子どもさんの口から、「 まんまんさんアン 」という可愛いことばが発せられたり、そんな光景に出会えたときは心が和みます。
【 花御堂?甘茶? 花まつりの不思議 】
さて、子どもさんが慣れ親しむのは、やはり見た目が華やかな『 花御堂 』と、その日に振る舞われる『 甘茶 』によるものかな?と思います。
なぜ、お釈迦さまの周りに花があり、甘いお茶をお釈迦さまのお像にかけるのか?お釈迦さまの誕生日を祝う形には不思議なエピソードがいくつかありそうです。花御堂をとおして『花まつりの不思議』を紐解いていきましょう。
《 お釈迦さまの誕生 》
お釈迦さまはもとはゴータマシッダールタと言い、今から約2500年前に、インド・ネパールのルンビニ園で母・摩耶夫人から生まれました。
摩耶夫人は、白象が自分の体に入る夢を見たのちに懐妊します。妊婦の摩耶夫人がルンビニ園の木に咲く花を右手で取ろうとしたところ、右手の脇からお釈迦さまが生まれました。これがお釈迦さまの誕生です。
お釈迦さまは生まれてすぐに七歩あゆみ出し、右手の人差し指を「天」に向け、左手の人差し指を「地」に向けて、『天上天下唯我独尊(てんじょう てんが ゆいがどくそん)』の、ことばを発しました。
※天上天下=天と地、この世の世界をしめす
※唯我=ただ我。我のみ
※独尊=一人尊い
「この世界で唯一、我が尊い存在である」
この尊いお釈迦さまの誕生を喜んだ「龍」が、平和な世の中になると天から甘い露(甘露)が降るとされる「甘露」を降りそそぎ祝い、また、お釈迦さまの周りには華やかな「花」が咲きほころび、動物はじめ植物までも生きとし生けるものが誕生を祝いました。
《 お釈迦さま誕生の舞台・花御堂 》
4つの柱をもつ御堂(建物のこと。お堂と同じ)は、花が飾られる屋根があることから、‘’ 花のお堂 ‘’ を意味する 『 花御堂(はなみどう)』と呼ばれます。お花が飾られるのは、お釈迦さまが生まれたルンビニ園にはお花が咲いていたり、お釈迦さまが歩かれたあとにお花が咲いたという伝説から、御堂(みどう)にお花をあしらう形になりました。つまり、花御堂はお釈迦さまの誕生の舞台でもあるのですね。
《 甘茶をお釈迦さまのお像に降りかける 》
花まつりで花御堂の中に据えられたお釈迦さまのお像に、灌仏桶にある「甘茶」を振ふりかけるのは、龍が天からお釈迦さまに甘露を降りそそいだという伝説にちなむそうで、甘露に見立てられたものが甘茶なんですね。
■ 甘茶について
アマチャは、日本の植物でユキノシタ科のヤマアジサイの甘味変種。ヤマアジサイの甘味のある成分変異株が民間で発見されたもので、葉を生薬として用います。アマチャは、加工調製で発酵させることで甘くなり、甘味成分は、砂糖の約1,000倍の甘さがあり、かつて砂糖が普及するまでは甘味料として利用されていました。
歴史はまだ新しく、江戸時代あたりから民間薬として利用され始めました。民間療法では、糖尿病患者の甘味代用や、胃弱・食欲不振・利尿・口臭除去に茶剤として利用されています。ちなみに、名前の似ている「アマチャヅル」はウリ科の植物で、アマチャとは全く異なる植物です。
❤❤甘茶を飲んでみよう❤❤
この季節になると、お茶屋さんでは「甘茶」を店先で販売されたり、年中なら通販でも買うことができます。
甘いお茶と言われているので、緑茶に砂糖が入っている?ような味わいかと思うと、そうではなく、お茶を口にして少しあとで甘さが追ってくる感じです。甘さは甘味料のステビアに似ているかもしれません。
体によいとされていますので、一度試されてはいかがでしょうか。
【 花御堂の役わり 】
年に一回、4月8日にお釈迦さまの「花まつり」で目にする花御堂は、お釈迦さまの誕生の様子を簡潔にわかりやすく表現していると同時に、だれでも参拝できるためのものだったのですね。
【 ” この世界に生まれた我一人の命は尊い ” 】
生まれたばかりのお釈迦さまが、『天上天下唯我独尊』と言われた伝説はとてもインパクトがあり、文言だけ見ると「この世界で唯一、我が尊い存在である」と、少し傲慢な印象をあたえかねないことばですが、本来の意味は、” この世界に生まれた我一人の命は尊い ” という意味が込められているそうです。
さて、同じような人物に目を向けると、暮れの12月25日はキリストのお誕生日「クリスマス」。お釈迦さまのお誕生日の4月8日も、クリスマスのようにケーキを食べてお祝いしたいものです。どちらの日にも「誕生日」というキーワードで、この世に命を受けたことのへの感謝の意をあらわしたいですね!
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本願寺の二分化 西本願寺と東本願寺
京の冬の旅 特別拝観
東本願寺・御影堂門
世界最大級の木造建築・御影堂などの諸堂が並ぶ、東本願寺。その境内入口にそびえ建つ御影堂門(ごえいどうもん・重文)を、今回京の冬の旅で3回上がらせていただきました。
東本願寺の御影堂門は明治44年の再建で、高さ約27mの日本一高い木造楼門(二重門)。上層には釈迦如来と弥勒菩薩、阿難尊者の三像が安置されています。
楼上からは、東山連峰が連なるパノラマの景色が広がり、緑の山に赤い色がきわだつ 『 清水寺・子安の塔 』 や、如意ヶ嶽・五山送り火の 『 大 』 の文字などを見ることができます。
さて、東本願寺の宗派は浄土真宗大谷派、正式名称は 『 真宗本廟( しんしゅうほんびょう )』 といいますが、東本願寺の一本西の堀川通りには西本願寺が建ちます。
かつては一つのお寺で、今から約400年前の天正19年(1591)、豊臣秀吉から堀川六条(現在の西本願寺の場所)に寺領を与えられ、京都の 『 本願寺 』 として浄土真宗の教えを広めていました。
堀川六条の場所に移る前、今から約550年前の長禄元年(1457)には、本願寺第8世の蓮如が浄土真宗の開祖・親鸞聖人の教えを継承し、教えは近畿、東海、北陸へと広がります。すると、これをよく思わない比叡山衆徒から弾圧を受けて、布教の場を滋賀、福井、京都の山科(山科本願寺)、大阪の石山(石山本願寺)、和歌山、大阪へと移していきました。
布教の場を転々としても信者の数はますます増えて大きくなり、戦国時代の権力者・織田信長、豊臣秀吉、徳川家康たちは、巨大化していく本願寺からいつも目が離せませんでした。
【戦国武将と本願寺】
織田信長は本願寺に対して弾圧と戦いを挑み、豊臣秀吉は信長とは反対に胡麻をするかのように “ 堀川六条 ” に寺領を与え、徳川家康は本願寺内部の二分化を利用して、 “ 烏丸六条 ” に本願寺(東本願寺)を造らせるなど、本願寺の歴史を見れば、時の権力者の思惑や性格がわかります。
権力者の利害によって本願寺や信徒は翻弄されます。元亀元年(1570)の石山合戦で本願寺は織田信長と11年戦い続けますが、第11世の顕如と信長は和睦。このころから、本願寺内部では、信長の和睦を受け入れた父・顕如の温厚派と、信長にいつまでも対抗を抱く長男・教如の強硬派に分かれていきました。
織田信長が亡くなり、豊臣秀吉の時代になると本願寺は堀川六条に寺領を与えられ、第11世・顕如が継承しますが、顕如が亡きあとは、三男の准如が引き継いだ(豊臣秀吉の意向)ため、父・顕如の意志と共にしなかった長男・教如は裏方の存在になりました。
この裏方でくすぶっている教如に目をつけたのが徳川家康で、家康は教如に本願寺の目と鼻の先である烏丸六条の土地を授けて、教如が率いる本願寺を作らせ、巨大化していた本願寺の内部の勢力を二分化させたのでした。
顕如の本願寺に対して、東に位置することから東本願寺と呼ばれ、以後人々は通称名の西本願寺、東本願寺と呼んで区別しました。
東本願寺の御影堂門を上り、立派で重厚な圧巻の御影堂を望み、175,000枚ある瓦の枚数に驚き、浄土真宗大谷派衆徒の歴史と信仰の厚さをひしひしと感じた特別拝観でした。
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2月15日にたずねた京の冬の旅・興聖寺 ★思い出した京の供養菓子・花供曽(はなくそ)★
先日2月15日に、2022年『 京の冬の旅 』特別拝観で、京の冬の旅では40年ぶりに公開になった『 興聖寺 』さんへ行ってまいりました。
興聖寺は今から約400年前の慶長8年(1603)、僧侶・虚応円耳( きいんえんに )のもとに通い、仏教( 禅 )を学んでいた武将茶人の古田織部が、円耳に懇願して建てられた、臨済宗のお寺です。古田織部ゆかりの寺であることから、通称『 織部寺 』とも呼ばれています。
今回の見どころは、江戸時代に建てられた本堂( 仏殿 )や、天井画の「 雲龍図 」、本尊・釈迦如来像、武将・藤堂高虎の寄進と伝わる達磨像。また、方丈に青が印象的な現代写真家・杏橋幹彦氏『 青波の襖 』( フィジーの海中写真 ) が奉納された襖絵、茶室「 雲了庵 」などです。なかでも私が感動したのは、方丈の中庭の『 蹲( つくばい )』です。
蹲とは、日本庭園のなかに見られるものの一つで、茶室に入る前に、手を清めるために置かれた手水鉢に趣を加えたものです。興聖寺の蹲は、庭の敷地のどまんなかを深く大きく掘り下げ、螺旋状に石段を設けて、降りた先(底)に手水鉢が据えられている大きな形をもつ蹲で、地面下に降りて手水を使うことから、『 降り蹲踞 ( おりつくばい ) 』と呼ばれています。
写真で見ていただくとおわかりになるかと思いますが、蹲のために中庭が作られていると言ってよいくらいの大きな面積を有しているところに驚きます。蹲の石段をひとつ、ひとつ、また、ひとつひとつと降りていく事に清められていくような気がしました。
さて、もう一つ、この興聖寺の特別拝観で心が動かされた事があります。それは、本堂に掲げられていた『 涅槃図 』です。「 涅槃 」とはお釈迦さまが入滅( 亡くなる )された事を意味し、涅槃図とは、お釈迦さまが亡くなられる寸前に、生きとし生けるものが集まり、お釈迦さまの死を嘆き悲しむ様子を描いた絵画です。
たずねた日はまさしくお釈迦さまが亡くなられた日の2月15日でしたから、興聖寺では本堂に涅槃図を掲げられていたのですね。このグッドタイミングに嬉しくなりました。お寺によっては旧暦に日を合わせて、1ヶ月あとの3月15日にされるところもあります。
涅槃の法要として3月15日に『 涅槃会 』を行われるところは、泉涌寺、東福寺、真如堂、本法寺などがありますので、一度ご参拝されてください。
さて、涅槃会にお参りすると、お寺によっては、涅槃会にちなむお菓子が授与されることがあります。それはお寺からいただくありがたいお菓子なのですが、失礼にもお菓子の名前を見るとクスっと笑ってしまうのです。※興聖寺さんは花供曽は授与されておりません。
『 花供曽 』や『 花供御( はなくご・なまってハナクソとなった ) 』と書いてあるのですが、呼び名は「 はなくそ 」です。発音が「 鼻クソ 」と同じであることから、わかっていても授与されると笑みがでます。
花供曽は、お正月の鏡餅を、1センチ角から5ミリ角に細かく切って焼かれた餅のあられです( ひなあられに似ています )。焼いたあとは醤油やきな粉で味付けされます。お正月のお餅をそつなく使う暮らしの知恵です。うまくできていますよね!
花供曽は京菓子屋さんでも販売されています。
※真如堂さんの花供曽は田丸弥さんが作っておられます。
↓ ↓ ↓
★ 京のおせん処 田丸弥 本店 ★
住所:京都市北区紫竹東高縄町5番地
(通称通り名 堀川通今宮下る西入る)
市バス、京都バス 「東高縄町」下車 2分
TEL. (075) 491-7371 / FAX.(075) 491-1700
さて、私も家でお餅を細かく細かく切って、オーブントースターで焼いて『 花供曽 』つくってみました。きな粉と砂糖の味付けです。小さいお餅ですから、すぐにぷく〜と膨らみ焼きあがるので、オーブントースターを見ながら楽しみました。
見よう見まねでつくってみましたが、長い花供曽も出来上がったりして、子供さんと一緒に作ると喜ばれるのではないかなと思います。お茶うけのお菓子にも合います。
織部寺から涅槃、家で作った花供曽と面白く展開した今回のmaming4816のBLOGでした♪♬
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2月10日 初午大祭・いなり寿司ときつねうどん
昨日は、伏見稲荷大社の初午大祭にお参りして、お守りの『しるしの杉』を授かりました。
平安時代から、伏見稲荷大社をお参りしたしるしとして授けられたのが、稲荷山の杉の葉。それは『 しるしの杉 』と呼ばれ、平安時代中期には、上皇などが遠出をする伊勢参りや熊野詣などの際に伏見稲荷大社に立ち寄り、旅路の安全を祈願して『 しるしの杉 』を授かり、体に杉の葉を身につけ、出発されたのだとか。
現在は、御祭神・宇迦之御魂神が稲荷山に降臨された日の『 如月の初午(2月最初にくる午の日 』を、神社のもっとも重要な祭事『 初午大祭 』として執り行い、この日だけに『 しるしの杉 』が授与されています。この日は旅路の安全だけでなく、福を呼ぶご利益がある『 しるしの杉 』を授かろうと、たくさんの人でにぎわいます。
『 しるしの杉 』が授与されたら、そのまま家へ戻っても良いのですが、お参りのあとは、3合目あたりに相当する四ツ辻で折り返す『 お山めぐり 』で、さらに1年の無病息災を願いませんか。往復小一時間でめぐれる、山の麓から四ツ辻までのコースは、稲荷山山登りの初心者の方には打って付けの散歩道。千本鳥居のなかをゆっくり歩きながら山登りができます。
折り返す四ツ辻では、京都市内を一望することができて、なんといっても往路の疲れを癒す茶屋・にしむら亭で稲荷山の名物『おいなりさん(いなり寿司)』や軽食、甘味を食べることができます。
今回たずねた初午大祭は、甘辛く焚かれたお揚げさんに酢飯が入った『 おいなりさん 』を食べる日でもあるので、にしむら亭さんではおいなりさんと、またまたお揚げさんが入った、きつねうどんで、お揚げさんづくしのお料理を堪能しました。甘味処の『 おせんざい 』もいただきたいところではあったのですが(笑)。
京都の柔らかいおうどんは、『 腰抜けうどん 』と呼ばれ、柔らかいうどん生地にお出汁がよく染み込んでいて美味しいですよ♫
にしむら亭さんのきつねうどんは、京都の懐かしいうどんのお味です。京都生まれの京都育ちの谷口が推す『 きつねうどん 』です。まだの方は一度お試しあれ!!!
#伏見稲荷大社 #初午大祭 #しるしの杉 #おいなりさん #いなり寿司 #きつねうどん #にしむら亭
老舗京料理・西陣萬重の味を食卓へ
西陣・西陣萬重さんが取り組まれています(2月10日まで)クラウドファンディングのプロジェクトの返礼商品をいただきました。萬重さんのクラウドファンディングとは、コロナ禍で生産過剰になっている京都の農水畜産物を、地元京都の生産者や卸売業者から購入し、萬重が新たな商品開発を行い、その商品を萬重オンラインショップで販売する前に、クラウドファンディングを募って早割価格で先行販売し支援する企画なんだそうです。
クラウドファンディング – READYFOR
https://readyfor.jp/projects/manshige2
2月10日(木)23時までです。
私は、嬉しいことに、萬重クラウドファンディングの返礼品の『 西京漬の鰆 』と『 万願寺とうがらしの佃煮 』を、ある方からおすそ分けしていただきました。老舗京料理屋さんの逸品が小分けのパックになってお家で味わえるなんて、とても嬉しかったです。今はとくにコロナ禍で簡単にお料理屋さんに行けなくなりました。しばらくはこのような形で京料理屋さんのお味を、お家でいただける事が楽しみの一つとなりますね。
さっそく家に帰りご飯を炊いて、いただいた西京味噌漬けの鰆を焼いて、万願寺とうがらしの佃煮を小鉢に盛って、白菜とお揚げのお味噌汁をつくり、そしてそれらを黒い朱塗り風のお盆に並べました。老舗京料理屋さんには到底およびませんが、ちょっとした小料理屋さんのお膳に見えたら(笑)。
憧れの萬重さんの京料理二品をいただいたので、これはちゃんとご飯を炊いて食事をしようという気になりました。『 老舗京料理 』という言葉の響きにはいろんな意味で、すごい力があります。
さて、西京味噌漬けの『 西京味噌 』とは、明治に入ってからの呼び名で、東へ都が遷った東京からみて、京都は西にあることから、西の京の味噌で『 西京味噌 』と名付けられたとか。よって西京味噌と白味噌は同じです。
ただ、『 西京味噌 』と名乗るには、組合に入っている事と、京都に根付いていることや、製造や材料にいたるまでいくつもの厳しい基準をクリアしないといけないそうです。西京味噌と銘打ってある物は、それなりの確信あるお品であるという事なんでしょうね。
そして、私の大好きな野菜の一つ『 万願寺とうがらし 』!京の伝統野菜かつ、ブランド京野菜に認定されている、京野菜の中の京野菜なんですね。
そんな素晴らしい京都の食材でつくられる、西陣萬重さんの逸品料理が、家でも味わえるようになるなんて嬉しいです。萬重・名物『 鯛のあら炊き 』も思い出しだしつつ、ちょっとコロナ禍が下火になっていた頃に、寄せていただいた時のご主人と女将さんのお見送り姿もよみがえりました。
力強い萬重の若主人・田村圭吾さんの取り組みをこれから応援したいと思います。
★西陣・萬重
〒602-8438
京都府京都市上京区大宮通今出川上ル
電話: 075-441-2131
#萬重 #田村圭吾 #西京味噌 #万願寺とうがらし #京料理 #クラウドファンディング
2022年2月3日 節分祭と『 精進の恵方巻き 』にかぶりつく
春がくる立春の前にあたる今日の2月3日は、冬の最後の日で、冬から春への移り変わり・節目の分かれ目たることから『 節分 』と言われます。
一年には季節ごとに4つの節分がおとずれますが、2月3日の節分が一年の終わりで、翌日から新しい一年が始まりますから、全国の神社仏閣ではとくに『 節分祭 』という大きな祭事を執り行って、良き一年のスタートを迎える重要な節分の行事となるわけです。
節分には邪悪なものが忍び寄るとされ、邪悪なものは『 鬼 』の姿( 体は赤や黄、青の肌色で、頭から角を出し、虎皮のパンツを履いている )で現されて、その鬼を、4つの目を持つ『 方相氏 』と呼ばれる呪術師が登場して、鬼を追いやる『 追儺式 』が、各神社仏閣で祭事として行われるわけですね。
この季節には、神社仏閣の節分祭を参詣して一年の無病息災を願って家に帰る。一方、家でも玄関から邪悪な鬼が入って来ぬようにと、鬼が匂いを嫌う『 鰯の頭 』、鬼が痛がって嫌うトゲトゲの『 柊の葉 』を、玄関先に飾る。また、五穀の中でも強い霊力が宿るとされる『 豆(大豆) 』を、 ♫ 鬼は外、福は内 ♫ と声を出して、見えぬ鬼に向かって豆まきをします。一説では、豆は『 魔滅(まめつ)』魔が滅するという発音に通じることから、鬼退治に効力あり!とされたと伝わります。
そして、近頃はその年の恵方に(吉の方角)向かって巻き寿司をかぶりつくという『 恵方巻き 』の美味しい行事も根付いています。かつて、初詣はその年の『 恵方 』の方角にある社寺に参詣する習慣がありましたが、今の『 恵方 』が大きく取り沙汰されるのは、節分祭で食べられるようになった『 恵方巻き 』なんですね!
恵方巻きについて調べると‥‥
《 恵方を向いて「 太巻きの丸かぶり 」を行う恵方巻きの風習が関西を中心に行なわれていたが、近年コンビニエンスストア等の宣伝やキャンペーンで全国に認知されつつある 》
そして、お楽しみの『 恵方巻き 』は、ちょっと手に入らない、精進の恵方巻きにしてみました。私の大好きな精進料理・矢尾治さんの『 精進恵方巻き 』です!お精進の恵方巻きは、未体験なので、今年は矢尾治さんの恵方巻きで、恵方の方角『 北北西 』に向かってかぶりつきました。
【 矢尾治の精進恵方巻き 情報 】
※来年の参考にされてくださいね!
2月3日の節分に、精進恵方巻きの販売です。
食材も調理も完全なお精進でございます。
予約限定販売でございますので、宜しくお願い致します。
(お値段)1本1000円(消費税込)
(サイズ)18cm
(食材)蕗の薹味噌 高野豆腐唐揚げ 椎茸 京人参
所在地: 〒600-8486 京都府京都市下京区高辻堀川町358
メニュー: kyoto-shoujinryouri-yaoji.homepage.jp
電話: 075-841-2144
という事で、私は今年の節分祭は、京都大学近くの熊野神社と、聖護院門跡、須賀神社にお参りいたしました。コロナで節分祭の規模は小さくされていましたが、お焚き上げ神事などされていましたので今年一年の無病息災を願いました!
二重、三重にもバリアを張る無病息災祈願の『 節分祭 』の行事を無事に終えました。ホッ〜♫